こんにちは🐱
マイナと申します。
今日も見にきてくれて
ありがとうございます。
今日は「ノンデュアリティ(非二元)」
についてのお話しです。
このしくみを知ってから
わたしは”悩む”ということが
ほぼなくなりました。
なくなったというより
悩みはあっても
辛いとか、悲しいとか、嫌だ…
というネガティブな感情が出なくなった
と言った方がいいのかもしれません。
でも、この考え方
今まさにピンチ真っ只中っていう人には
向いていません。
「そんなのんきなこと
言ってる場合じゃないんだよ😾」
ってなると思いますε-(´∀`; )
だから今まさに
辛い悩みを抱えてるかたは
ぜひ
別の記事(引き寄せの法則でピンチをチャンスに♡)シリーズを読んでください😊
そのピンチがチャンスに変わって
少し落ち着いたら
またここに来てくださいね。
まってます☺️
さてさて😺
まず
「二元論」って
聞いたことありますか😊
前回の記事(ポジティブ思考でいるために)
で少しお話ししたのですが
ポジティブ思考でいるためには
物事を「二元論」で
“考えない”ようにするといいんです。
「二元論」とは
異なった二つの原理で
あらゆるものを説明しようとする考え方です。
例えば
「善と悪」
「成功と失敗」
「男と女」
などなど…
「光があるから、影がある」というように
あらゆるものは
対比する二つで成り立っている
みたいなことです🤗
そして
「非二元」とは
この世界は
二つに分けられる(区切られている)
ものではなくて
全ては一つであるという考え方です😊
一見、まったく真逆のことを
言っているように聞こえますが
違いました。
わたしは、初めて
この「二元」と「非二元」の
ふたつの考え方を知ったとき
「二元と非二元に分かれている時点で二元で考えているじゃん…てことは、非二元の考えを持っている人は何をもって、この世はひとつだと言っているのだろう…」
と思いました🙄
だからまた、色々と調べてみたんです🤭
そしてわかったんです💡
この世界は1つです。
これに区切りはありません。
でも、私たちの「思考」は
二元で物事を考えるようにできています。
それは
人は対比でしか物事を判断できないからです。
夜が暗いと感じるのは
昼が明るいから。
悪い人がいるのは
いい人がいるから。
暑いと感じるのは
寒いがあるから。
そして、人は必ず
区切りをつけて、ラベルを貼ります。
それは「言葉」を使うから。
言葉がなければ
物事は区切ることができないんです。
例えば
今あなたが座っている椅子も
誰かの思考の中でデザインされますね。
そして
部品と材料も
それをどこかの工場で作った人なしには
存在しません。
そして
その材料は分子から
分子は原子から
原子は素粒子からできています。
そして
椅子は、それが置かれている
部屋があることで存在でき
部屋は、家があることで存在しています。
そして、家は
あなたの住む街や都市があることで存在しています。
都市は、国があることで
国は、地球があることで
地球は、銀河系があることで存在できています。
そこに区切り(分離)はありません。
分離されているように感じるのは
そこに言葉があるからです。
すべては
ずっと
つながっていて
ひとつです😊
色に区切りはありません。
赤、青、黄色。
これは人がつけたラベルです。
本当はひとつです。
グラデーションになっているだけ。
だから「白って200色あんねん」は
ある意味そうかもしれないけど🤭
より細かく区切っただけのことです。
でも区切らなければひとつです。
そして
白も黒も同じものです。
というより「色」そのものも
人がつけたラベルですね😌
全てはひとつの中にあります。
ただあるだけ。
虹の色を
日本人は7色に区切りますが
アメリカは6色
ロシアは5色
南アジアのある地方(部族)では、赤と黒の
2色に区切る地域もあるそうです😳
なんでこんなに
違いが出るんでしょう。
それは
文化の違いです。
あなたの話す言語は
あなたや
あなたと同じ言語を話す他の人々
特有のものです。
わたしたちの思考は
特定の世界や
文化の決まりごとに
従い続けているだけかもしれません😌
文化の違いで
言葉も変わります。
言葉が変わると
見えている世界も
変わるんですね。
例えば
「もったいない」や
「せつない」
という言葉。
日本人なら当たり前に
感じる感情を現した言葉ですよね。
でも英語では直訳できる
言葉はありません。
だからといって
この感情はアメリカ人には
存在しないのでしょうか。
そんなことは
ありませんよね。
「せつない」は英語で
「痛い・苦しい・つらい」という意味をもつ
別の言葉で表現されます。
でも
この「せつない」って
なんていうか…
痛いでもないし
苦しいのとも違くて…
なんか
せつないんですよね。
たぶん日本人は
区切るのが上手なんだと
思います。
繊細な感情の違いを
細かく
区切るのが上手なんだと
思います。
ある英語学習の本を読んで
思ったことがあるんですが😊
その本には
なぜ、英語では
必ず主語(私、あなた、彼、彼女など)が
必要なのか🙄
という問いに答えていました。
確かに
「なんで日本人は主語を省くの?」
「誰が言ってることなのかわからないじゃん!」
ってアメリカ人さんが
言っているのを見たことがあります😳
日本人からすると
「だって私が今喋ってるんだから、言わなくてもわかるでしょ」
「今は、あの子の話してたんだから
あの子のことだってわかるじゃん」
っておもいますよね💡
わたしも、ずーっと思ってました。
でも
その本の説明で納得しました。
その本には
視点をカメラに例えるなら
日本人は、カメラは自分が持っていて
それを自分がのぞいている感じ。
いっぽう
英語を話す人は
カメラは自分ではない誰かが
上から撮影していて
その映像をみんなで見ている感じ。
例えるなら
人生ゲームをみんなで
上から見ている感じ。
だから
「1歩前に進むよ」って言われても
「誰を?」ってなる。
わたしはすごく、納得したんです。
なんか、英語の感覚だと
まるで神様が上から
みおろしてて
みんなが同じ視点で
みている感覚。
これは一神教である
文化があるからなのかな…と
勝手に思いました。
神様が絶対で
それ以外の人はみんな同じみたいな。
そして
日本語は
自分が主人公で
自分と他人が明確に分かれている感覚。
日本は多神教というか
全てのものに神様が宿っているという
神道の考えかたが根付いているから
それぞれが個として
独立しているイメージ…
これもわたしの
勝手なイメージですが💦
なんかこれを知ったとき
言葉は、文化の違いそのものなんだなぁ
と思いました😊
また話がそれましたが💦
何が言いたかったのかというとですね😉
この世界は、ひとつである。
区切り(分離)などない。
でも人間の脳は
二元論(対比)で物事を考えてしまう。
ということです😸
今日は、かんたんに
「二元」と「非二元」についてお話ししました。
次回はもう少し詳しく
分離についてと
どうやって悩まみをなくしていくか
についてお話ししたいと思います😸
すこし理解するのが難しいお話しなので
ゆっくり
お話ししていきますね😸
なので
今日はこの辺で終わりにしたいと
おもいます😊
最後まで見てくれて
ありがとうございます。
またね♡